2/4の誕生日、その後…
HIDERO NOTE
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(7年前のスクール…)
7年前の2/11に「踊って暮らそう」をコンセプトとして
ダンスの将来性と
ペアダンスの特性の可能性を信じて
日常がダンスで溢れ日本の文化となること目指し
ここ幡ヶ谷にFESSIダンススクールをオープンしました。
古巣のタマオキダンススクールから独立する当時は
「まぁ、なんとかなるだろう」と
若さ?(当時43歳)ゆえの甘い考えと根拠のない自信がありましたな
やはり世の中、そう簡単にウマくいくはずもなく…
創業とオープン後には苦労が…
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(リフォーム前のFESSI、イタリアンレストランの居抜きでした…)
独立するに際しては当たり前な事なのですが
自分達の希望に沿うテナント探しや
(物件は100以上、現場へ足を運びました…)
資金調達やら
(設備や運転資金にお金を借りるも、ダンス講師というだけで厳しい見方をされたり…)
まぁ、色々とありまして…
事あるごとに石田とケンカばかりした覚えがあります。
(そのケンカの内容は覚えていませんが…)

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(全て職人さんの手で造作…)
それでも無事にオープンに漕ぎ着け
「さぁ、これから!」という、
その1年後にはコロナ禍になりまして…
(これは個人的な感覚なのですが…妻の石田君を養えるはずもなく、お金がない中、焦りと不安にかられていた日々でしたね。念願叶ったFESSIダンススクールが簡単につぶれていくような、そんな感覚でした…)
そんな中でもお付き合い下さいました生徒皆様、
サポートして頂いた皆様のおかげで
コロナの試練を乗り越えることができまして、一昨年には5周年…
そして今がありますこと、本当に感謝しています。
これまでの歩みがダンス業界の発展に少しでも貢献できていれば、本当に嬉しいのですが…
何だか、いつも余裕がなく
相変わらずな小さなスクールで
日々、目の前の生徒皆様に向き合うことしかできない私共なのですが…
それでも、いつの間にか沢山の財産を得ていることに気付かせて頂いております。
気付けば7周年…
なかなか想像すらできない未来なのですが
これまで皆様と歩んできたように、
これからも前進、挑戦し成長していきたいと思います。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。